※本記事には広告・アフィリエイトリンクが含まれます。
美術館の作品解説で「徳川家康所用」と出てきたら。家康が持っていたんだね、と分かるけれど、その横の「駿府御分物」で急に読む手が止まるかもしれません。
すんぷ……おわけもの?
これは、家康の死後、駿府城に残された遺品・遺産を指す呼び名です。しかも、家康一代の愛用品だけでなく、信長や秀吉など、それ以前の持ち主から受け継いだ名品も含まれます。
一人の持ち物を知るつもりで見たら、その前と、その後の人までつながる。ここから読むと、作品の見方がぐっと広がるよ。
将軍家へ全部渡った、という話ではありません
徳川美術館の説明によれば、駿府城の遺産の大部分は、尾張の徳川義直、紀伊の徳川頼宣、水戸の徳川頼房へ分け与えられました。三人は家康の九男、十男、十一男です。
この三つの家が、秀忠の継いだ将軍家を支える「御三家」。名古屋の徳川美術館では、そのうち尾張徳川家へ伝わった品々が収蔵品の核になっています。
じゃあ、徳川美術館の品は全部、家康が残したもの?
そこは一緒にしないでね。義直以降にも、武具や茶道具、婚礼の道具などが加わり、代々受け継がれています。館のコレクション全体と、その中の駿府御分物は、範囲が違うんです。
出典:徳川美術館について
茶壺一つにも、家康より前の持ち主がいる
具体的な品でも見てみよう。徳川美術館には「唐物茶壺 銘 松花」があります。読みは「からものちゃつぼ、めい、しょうか」。「唐物」は中国から来た品を、「銘」はここでは壺に付いた名前を表します。
美術館の解説では、『信長公記』という信長の事績を記す書物に、安土城の天守完成を祝って贈られた話が登場し、その後は秀吉や家康も所持したとされています。
家康が持っていた、で話が始まるわけじゃないんだね。
こういう品を見るときは、「いつ作られたか」と「誰が持っていたか」を別々にたどるのがおすすめ。同じ作品が、いくつもの時代の人間関係へつながっていきます。
なお、公開されている作品情報は、今日その作品が展示室に出ているという意味ではありません。実物を見る予定なら、展示予定も別に確認してね。
品物だけでなく、受け渡した記録も残っている!
もう一つ注目したいのが、「駿府御分物御道具帳」。長い名前ですが、尾張の義直へ渡った遺産を記録した台帳です。
徳川美術館の解説では、元和二年から四年、つまり1616〜1618年にかけて作られたもの。金銀、刀剣、衣服、書画、外国から来た品など、記された遺産の種類もさまざまで、資料は十一冊あります。
品物を渡して終わり、ではなく、受け渡しの記録まで残っているんです。
作品が今ここにあることと、昔の記録に出てくること。その両方からたどれるのは、歴史を調べる大きな手がかりになるね。
ただし、この御道具帳は尾張の義直の分。家康の遺産全部を、十一冊ですべて説明できる、と広げないで読もう。
まとめて調べる本なら、同名図録の刊行年と状態を見てね
この題材を本で追いたい人には、『家康の遺産―駿府御分物』という図録、展覧会などに合わせて作られる資料集があります。国立国会図書館の書誌では、徳川美術館編、1992年10月刊。家康生誕450年記念の本です。
確認した掲載は中古品で、平成四年、つまり1992年の図録。表紙のすれや本の割れなどが説明されています。同じ本でも状態は一冊ずつ違うので、書名だけで決めず、その出品の写真と状態欄を見てから選んでね。
次に「駿府御分物」を見つけたら、家康の名前の先をもう一歩。誰から受け継ぎ、誰へ渡ったのか。その小さな解説欄に、作品の長い道のりが続いているよ。