家康と大坂の陣とは?方広寺鐘銘事件、1614年の冬の陣と真田丸、和議と堀の埋め立て、1615年の夏の陣と豊臣家滅亡まで5つの要点

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関ヶ原の戦いのあと、江戸幕府を開いた徳川家康。その家康が、晩年に豊臣家とたたかったのが「大坂の陣」です。冬の陣と夏の陣の二つの戦いがあり、真田丸や堀の埋め立てなど、ドラマでもおなじみの場面がたくさんありますよね。この記事では、日本史の事典や概説書で紹介されている内容をもとに、方広寺鐘銘事件から豊臣家の滅亡までを、やさしくたどってみました。

この記事では、日本史の事典や概説書、大阪城天守閣など史跡・自治体の案内で一般に紹介されている内容の「方広寺鐘銘事件」「大坂冬の陣」「大坂夏の陣」の一般的な解説をもとに、徳川家康と大坂の陣について5つのポイントで整理します。後半の、大坂の陣を、年表と地図でたどる楽しみ方は、この記事の提案です。

※この記事は、2026年10月時点で日本史の事典や概説書、大阪城天守閣など史跡・自治体の案内で一般に紹介されている内容に掲載されている内容をもとにしています。日付は旧暦で、史料や本によって、少しずつちがう説明があります。人物の気持ちや戦いのくわしい様子には、いろいろな説があります。くわしくは、事典や研究書などで確かめてください。

この記事でわかることは、次のとおりです。

  • 家康と大坂の陣 5つの要点
  • 大坂の陣を、年表と地図でたどる楽しみ方
目次

大坂の陣ってなに?

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徳川と豊臣の戦い

大坂の陣は、徳川家康・秀忠の幕府方と、豊臣秀頼の豊臣方とのあいだで起こった戦いです。

二つの戦い

1614年(慶長19年)の冬の陣と、1615年(慶長20年)の夏の陣の二つに分けて呼ばれます。

大坂城が舞台

豊臣家の本拠地だった大坂城とそのまわりが、おもな舞台になりました。

戦国時代の終わり

この戦いのあと、大きな戦いのない時代へと移っていったと説明されています。

年(目安) できごと
1614年(慶長19年)夏ごろ 方広寺鐘銘事件
1614年(慶長19年)冬 大坂冬の陣、真田丸での戦い
1614年(慶長19年)12月 和議、堀の埋め立て
1615年(慶長20年)5月 大坂夏の陣、豊臣家の滅亡

家康と大坂の陣 5つの要点

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1. 方広寺鐘銘事件

方広寺の鐘に刻まれた文字が問題とされたことが、戦いのきっかけのひとつとされています。

2. 1614年の冬の陣と真田丸

冬の陣では、真田信繁(幸村)が築いた出城「真田丸」での戦いが知られています。

3. 和議と堀の埋め立て

冬の陣のあと和議が結ばれ、大坂城の堀が埋められました。

4. 1615年の夏の陣

堀を失った大坂城をめぐって、夏の陣が起こりました。

5. 豊臣家滅亡

夏の陣で大坂城が落ち、秀頼と淀殿が自害して、豊臣家は滅びたとされています。

5つのポイント早見表

ポイント 日本史の事典や概説書、大阪城天守閣など史跡・自治体の案内で一般に紹介されている内容の案内
方広寺鐘銘事件 方広寺鐘銘事件
1614年の冬の陣と真田丸 冬の陣
和議と堀の埋め立て 堀の埋め立て
1615年の夏の陣 夏の陣
豊臣家滅亡 豊臣家滅亡

方広寺鐘銘事件

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方広寺の大仏

京都の方広寺は、豊臣秀吉が大仏を作ったお寺で、秀頼が再建をすすめていました。

鐘の文字

新しく作られた鐘に「国家安康」「君臣豊楽」という言葉が刻まれていました。

問題とされた理由

「国家安康」は家康の名前を分け、「君臣豊楽」は豊臣を君として楽しむ意味だと、徳川方が問題にしたと伝わっています。

今も残る鐘

この鐘は、今も方広寺に残されていると紹介されています。

1614年の冬の陣

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大軍が集まる

徳川方は、たくさんの大名を集めて大坂城を囲みました。

豊臣方の浪人

豊臣方には、真田信繁や後藤又兵衛など、多くの浪人たちが集まったと言われています。

大坂城の守り

大坂城は、堀に囲まれた守りのかたい城でした。

大砲

徳川方は、大坂城に向けて大砲を撃ったと伝えられています。

真田丸

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出城

真田丸は、大坂城の南側に、真田信繁が築いた出城です。

守りの弱い南側

大坂城の南側は守りが弱いとされ、そこを守るために作られたと言われています。

徳川方を苦しめる

真田丸での戦いで、徳川方は大きな損害を受けたと伝わっています。

名前の由来

真田丸という名前は、信繁の名字からとられています。

和議と堀の埋め立て

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和議

冬の陣は、1614年12月に和議が結ばれて終わりました。

堀の埋め立て

和議の条件として、大坂城の堀が埋められました。

外堀だけでなく

外側の堀だけでなく、内側の堀まで埋められたと伝えられています。

守りを失う

堀を失ったことで、大坂城は守りがとても弱くなりました。

1615年の夏の陣

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ふたたび戦いへ

1615年、徳川方と豊臣方は、ふたたび戦うことになりました。

城の外での戦い

堀がないため、豊臣方は城の外に出て戦ったと言われています。

道明寺・八尾・若江

道明寺や八尾・若江など、各地で戦いが起こりました。

天王寺・岡山の戦い

5月7日、天王寺・岡山の戦いが、最後の大きな戦いになりました。

真田信繁の最期

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家康の本陣へ

夏の陣で、真田信繁は家康の本陣に向かって攻めこんだと伝えられています。

家康を追いつめる

家康の本陣が大きくくずれたという話も伝わっています。

討ち死に

信繁は、この戦いで討ち死にしたとされています。

「日本一の兵」

のちに「日本一の兵(つわもの)」とたたえられたと言われています。

豊臣家の滅亡

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大坂城が落ちる

5月7日、大坂城は火につつまれたと伝わっています。

秀頼と淀殿

5月8日、豊臣秀頼と母の淀殿は自害したとされています。

豊臣家の終わり

こうして、豊臣家は滅びました。

千姫

秀頼の妻で家康の孫の千姫は、城から助けだされたと伝わっています。

元和偃武

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年号が変わる

大坂の陣のあと、年号は元和に変わりました。

戦いのない世へ

大きな戦いが終わったことを、「元和偃武」と呼ぶことがあります。

武器をおさめる

偃武は、武器をおさめるという意味だと説明されています。

江戸時代の安定

このあと、長い平和な時代が続いていきました。

家康のその後

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1616年に亡くなる

家康は、大坂の陣の翌年、1616年(元和2年)に亡くなりました。

駿府で

晩年をすごした駿府(今の静岡市)で亡くなったと伝えられています。

東照大権現

亡くなったあと、東照大権現としてまつられました。

日光東照宮

日光東照宮は、家康をまつる神社として知られています。

ゆかりの地をめぐる

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大阪城

今の大阪城天守閣は、昭和に復興されたもので、大坂の陣の資料も紹介されています。

真田丸の跡

真田丸があったとされる場所の近くには、真田信繁ゆかりの神社などがあります。

茶臼山

天王寺公園の中の茶臼山は、冬の陣で家康、夏の陣で信繁が陣をかまえた場所として知られています。

方広寺

京都の方広寺では、問題となった鐘を見ることができます。

大坂の陣を学ぶときの心がまえ

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物語と史料

大坂の陣には、のちの時代の軍記物語などで伝わる話もたくさんあります。当時の手紙や記録と、物語として伝わった話を分けて考えると、歴史がよりおもしろく感じられます。

人物の見方

家康や秀頼、淀殿の人物像は、本や作品によって描かれ方がちがいます。いろいろな見方があることを知っておくと、作品を楽しむ幅が広がります。

日付は旧暦

本に書かれている日付は旧暦なので、今のカレンダーとはちがいます。冬の陣、夏の陣の季節も、少しずれて感じられるかもしれません。

何冊かくらべる

何冊かの本をくらべて読むと、説明のちがいに気づけて楽しいです。

大坂の陣にかかわった主な人たち

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徳川家康

江戸幕府を開いた家康は、大坂の陣のころにはすでに将軍職を秀忠にゆずっていましたが、大御所として大きな力を持っていたと説明されています。

徳川秀忠

2代将軍の秀忠も、大坂の陣に軍をひきいて加わりました。

豊臣秀頼

豊臣秀吉の子で、大坂城の主でした。冬の陣のころは20歳代のはじめだったとされています。

淀殿

秀頼の母で、豊臣家の中で大きな役割をはたしたと語られることが多い人物です。描かれ方は、作品によってさまざまです。

大坂の陣を描いた作品にふれる

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大河ドラマ

家康や真田信繁を主人公にした大河ドラマでは、大坂の陣がクライマックスとして描かれることがあります。真田丸での戦いや、夏の陣の場面は、見どころとしてよく話題になります。

歴史小説

大坂の陣は、たくさんの歴史小説で描かれてきました。豊臣方の浪人たちの生き方に注目した作品も多くあります。

作品と史実

作品には創作の部分もあるので、史実と物語のちがいを考えながら楽しむのもおすすめです。

資料館で

大阪城天守閣などでは、大坂の陣に関する資料が紹介されていることもあります。

大坂の陣を、年表と地図でたどる楽しみ方

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ここからは、日本史の事典や概説書、大阪城天守閣など史跡・自治体の案内で一般に紹介されている内容の案内をもとにした、この記事の提案です。

年表を作る

方広寺鐘銘事件から豊臣家の滅亡までを、年表に書きだします。

地図で場所を確認

大坂城や真田丸、茶臼山の場所を地図で確かめます。

人物をまとめる

家康、秀頼、真田信繁など、主な人物をまとめます。

ゆかりの地へ

機会があれば、ゆかりの地をめぐってみます。

よくある質問

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大坂の陣とは?

徳川方と豊臣方のあいだで起こった、冬の陣と夏の陣の二つの戦いです。

いつのこと?

冬の陣は1614年、夏の陣は1615年です。

きっかけは?

方広寺鐘銘事件が、きっかけのひとつとされています。

真田丸とは?

真田信繁が大坂城の南側に築いた出城です。

堀はなぜ埋められた?

冬の陣の和議の条件として埋められました。

豊臣家はどうなった?

夏の陣で大坂城が落ち、秀頼と淀殿が自害して滅びたとされています。

元和偃武とは?

大きな戦いが終わったことをあらわす言葉です。

家康はいつ亡くなった?

大坂の陣の翌年、1616年です。

戦国の終わりを告げた戦いを、たどってみよう

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大坂の陣は、方広寺鐘銘事件をきっかけのひとつとして起こり、1614年の冬の陣、和議と堀の埋め立て、1615年の夏の陣をへて、豊臣家の滅亡で終わりました。真田丸や真田信繁の活躍など、見どころがたくさんあります。年表や地図を見ながら、家康の晩年の大きな戦いを、ゆっくりたどってみてくださいね。

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この記事を書いた人

徳川家康の生涯や関わった人々、ゆかりの地を少しずつ追いかけています。

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