家康の眼鏡は耳に掛けない?「目器」の使い方と贈り物の話を読み分けよう

久能山東照宮博物館に伝わる家康の眼鏡は、耳に掛けるタイプではありません。「目器(めき)」と呼ばれる手持ちの鼻眼鏡で、家康の遺品の一つとして紹介されています。

眼鏡と聞いた瞬間、耳へ伸びる細い部分まで思い浮かべなかった? この道具を見るときは、いったんそこを外して考えてみて。鼻の上に置いたり、手で支えたりして使う形なんです。

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「掛けっぱなしの眼鏡」から、手で支える道具へ

博物館の収蔵品ページで「目器」の写真を選ぶと、手持ちの鼻眼鏡だという解説があります。観光庁の多言語解説データベースでも、べっ甲製の眼鏡を家康が晩年に所有し、鼻に乗せるか手で固定したようだと説明されています。

ここが、いまの眼鏡をそのまま家康の顔へ重ねると、見落としやすいところ。

両耳で支える姿を前提にすると、手の役目が消えてしまうよね。公式ページの写真を見るなら、レンズを収める部分だけでなく、どこを持てそうかにも目を向けてみよう。「昔の眼鏡」でひとまとめにするより、使うときの動きが気になってきます。

ただ、形から思い浮かべられる動きと、家康が実際に何を読んでいたかは別の話。この眼鏡で特定の書状を読んだ、毎晩使った、とまでは今回の解説から分かりません。

出典:久能山東照宮博物館「収蔵品」、観光庁「久能山東照宮 重要文化財 目器」

スペインからの贈り物? 公式解説にも複数の可能性がある

形が分かると、今度は「どこから来たの?」が気になるね。

観光庁の解説は、輸入品の可能性が高いとし、スペインかポルトガルからの贈り物という見方を紹介しています。一方で、日本で作られ、九州の職人がレンズを磨いた可能性も挙げています。

つまり、この説明を「スペインから贈られたと確定している」と短くしてしまうと、日本製という別の見方も、推測であることも落ちてしまうんです。人に話すなら、「家康の眼鏡が残っていて、どこで作られたかには複数の見方がある」と伝えるのが正確だよ。

もう一つ、混ぜずに読んでおきたい記録があります。同じ解説によると、1593年に家康から眼鏡を受け取ったと、京都の公家が日記に記しています。

これは家康が眼鏡を人へ贈った話。久能山に残る一品を、誰かが家康へ贈った話とは、向きが逆です。同じ「眼鏡の贈り物」でも、受け取った人を確かめるだけで整理しやすくなるね。

出典:観光庁「久能山東照宮 重要文化財 目器」

まずは公式ページで、手持ちの鼻眼鏡という形を見てみよう。耳へ掛ける部分があるはず、という思い込みを一つ外す。それだけでも、家康の手元にあった道具を眺める入口になるよ。

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この記事を書いた人

徳川家康の生涯や関わった人々、ゆかりの地を少しずつ追いかけています。

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